@chinjuhさんと読む草双紙・はてな出張所

ばけものが出てくる草双紙のあらすじ等をまとめたものです。草双紙は江戸時代の絵本です。

花芳野犬斑(はなはみよしのいぬはぶち)

https://honkoku.org/app/#/transcription/CBC935B1599D029566AF50FEF551358F/1/
# 上記リンク先ではくずし字の原典と、それを現代の文字に置き換えた翻刻文の両方を読めます。


せんじかいだん・はなはみよしのいぬはぶち
先時怪談・花芳野犬斑

発行年:1790年(寛政二)
作:山東京伝
画:北尾政演(京伝と同一人物)

登場人物

  • 狗国の男女:男は犬で、女は人。
  • ちゃがまばばぁ:人を犬に変える妖術を使う。
  • ふるてや八郎兵衛:ちゃがま婆に犬に変えられてしまう。
  • おつま:八郎兵衛の妻。元は江戸の芸者。
  • 入道高時:北条高時のこと。相模入道ともいう。名前だけ。

物語

 『唐土訓蒙図彙』に狗国(くこく)は男はみな犬で、女は人で漢語を話すとある。しかし色の道は普通の人間と変わることはなく、犬の姿の男と人の姿の女は愛し合った末に心中することになった。二人の胸から抜け出した魂は日本に向かって飛んで行く。

 入道高時の頃に、鎌倉の北に先時村(せんじむら)というのがあり、ちゃがま婆ァというものがいた。婆は道行く旅人を家に泊めては牡丹餅を食べさせるが、食べた者はみな犬になってしまう。その頃、入道高時は犬を集めていたので、これを売りつけて儲けていた。婆の妖術は、冬に大量の牡丹餅を作り、夏になってから人に食べさせるというもので、夏の牡丹餅は犬も食わぬというのはこのことから生まれた言葉である。

 ここにまた鎌倉扇ガ谷の とびさはてう(飛沢町?)に古着の仲買いをする ふるてや八郎兵衛という者がいた。古着の買い付けで田舎へ行く途中、ちゃがま婆の家に泊まるが、牡丹餅を一口食べたところで悪い予感がして残りは食べたふりをしてやりすごし、夜中にこっそり抜け出して家に帰ることにした。婆の家には犬が沢山いて吠えついてきたので、桃太郎の気取りで携帯食の焼き飯を与えて黙らせた。

 八郎兵衛は牡丹餅を一口食べてしまったので姿は犬のようになってしまったが人と同じように歩き話すことができたので自分では姿が変わったことに気付かなかった。家に帰り着くと妻のおつまは夫の顔を見て驚くが、何か事情があるのだろうと素知らぬ顔をして「私を可愛いと思うなら、決して鏡を見ないでおくれ」と言い、隣近所にも口止めして普段通りに扱った。

 やがて二人に息子がひとり生まれるが、その子が外で遊んでいる時、見知らぬくず拾いが通りがかると四つんばいになってわんわんと吼え始めた。それを見て八郎兵衛はハッとして、妻に禁じられた鏡を見て自分が犬になっている事に気付く。犬になってしまっては今まで通り暮らしてはいけないと、息子を寝かしつけて「恋しくばたずねきて見よ初雪や、犬の足跡梅の花かな」と歌を残して信太妻の気取りで家を出る。

 おつまが歌のとおり雪に残った犬の足跡をたどって行くと八郎兵衛が里外れで切腹しようとしている。腹を切り裂くと牡丹餅の気が抜け出して八郎兵衛はもとの色男に戻った。

 すべては先時村で牡丹餅を食べたせいだと思い、ちゃがま婆を代官所に訴え出る。鉄砲で追いつめられた婆は犬神の正体を現し、口から二つの魂が飛んでいった。この魂は狗国から飛んできて八郎兵衛とおつまに入った魂である。

 それから八郎兵衛は息子にマチンを飲ませて犬の気を払ったので、息子も本当の人間になった。この怪談は鎌倉では有名になり、大磯あたりの郭では、狐拳(じゃんけんのような三すくみのゲーム)をやめて犬拳というものをするようになった。
 

メモ

  • 先時村:不詳。鎌倉の北にあると書いてある。
  • とびざわてう:不詳。漢字は飛沢町か、鳶沢町だろうか。鎌倉扇ガ谷にあるとされている。
  • おうぎがやつ(扇ガ谷または扇ヶ谷):鎌倉の地名。JR鎌倉駅から北鎌倉駅の間あたりのことを言う。
  • 夏の牡丹餅は犬も食わぬ:暑い時期の牡丹餅は腐りやすく食あたりを起こすことから。決して冬の間に作るからではない。
  • うりしろ(売り代):売って得たお金。代金。
  • それよしか:草双紙でみかける決まり文句。「それでいいか」というように相手に念をおす表現。ただし、日常的に使われるものかというと疑問がある。博徒など特定の業界で使われる言葉なのかもしれない。
  • 飯をずいやりの、ぐつと尻をずいばしよりの、ずい逃げた:「ずい」は、ずずずいっと御願い奉りますの「ずい」。ずっと、つつっと、ついっとなどの擬音。何にでもズイをつけて言うのは通人の流行り言葉かもしれない。芝居かなにかの台詞に使われて広まった可能性も。
  • 熱をふく:言いたい放題のことを言う。
  • 谷風:相撲取りの名前。この本の四年後くらいにインフルエンザにかかって現役中に死去。その年に流行したインフルエンザは谷風(風邪)と呼ばれている。落書きの横顔は谷風の似顔絵か。
  • たなうけ(店請け):長屋に入居する時に保証人になってくれる人。
  • おそかりし○○:仮名手本忠臣蔵四段目の台詞、「遅かりし由良之助」のパロディ。
  • 自腹:自分のお金で支払うことを自腹を切るというのは江戸時代からあった。多すぎる出費を痛いというのも同じ。
  • 鉄砲:うそ、おおぼら、でたらめのこと。
  • 朝鮮長屋:浅草陸尺屋敷の通称で岡場所として知られている。朝鮮使節の下官の宿所があったことに由来する。
  • ぼんぼんぼんはけふあすばかり:民謡の歌詞。今でも松本市に「ぼんぼんとても今日明日ばかり」と歌いながら着飾った少女が練り歩くお祭りがあるとか。民謡の歌詞には共通のパターンがあるので松本市のぼんぼんと同じ歌とは限らないが、近い歌詞の歌がこの時代流行ったと思われる。
  • 四国をまわって猿になった佐次兵衛:草双紙や古典落語に四国をめぐって猿になったという話題がちらほら出てくる。佐治兵衛あるいは佐治平とも書く。
    • 「一つとや、一つ長屋の佐次兵衛殿、四国を廻って猿になる」という俗謡がある。
    • 『風来六々部集』に「一つ長屋の佐治兵衛殿、四国を廻って猴となるんの、伴れて還ろと思うたが、お猴の身なれば置いて来たんの」という俗謡がある(南方熊楠『十二支考』より孫引き)
      • この俗謡は安永ごろに流行したもの。(講談社学術文庫『江戸語の辞典』>四国を廻って猿となる)
      • (佐治兵衛の話は)猟師また屠者が猴を多く殺した報いに猴となったということらしく…云々(南方熊楠、大正四年五月『郷土研究』三巻三号)
    • 山東京伝『霞之隅春朝日奈』(発行年不明)に「それ、猟師の佐次兵衛は四国をめぐって猿となり」とある。
    • 市場通笑『蟹牛房挟多』(天明一年)に「佐次平といふもの四国をめぐりて猿となる。もし猿にてめぐりたらば人にもならん」
    • 山東京伝『花芳野犬斑』(本書、寛政二年)「先年一つ長屋の佐次兵衛四苦にをめぐって猿となりし」
    • 十返舎一九『竜宮苦界玉手箱』(寛政九年)「一つ長屋の佐次兵衛は先年四国をめぐって猿となりしが」
    • 為永春水『春色梅美婦弥』(天保二年)に「序に四国をもまわって猿となれば宜かったのに」
    • 古典落語『猿後家』は、猿のような顔の後家さんが、自分の前では猿の話をするなと奉公人にきつく言い渡すが、みなたわいない話の中で猿を思わせることを言ってしまい失敗する話。その中に「四国巡礼の旅に行きたい」と言っただけで出入り禁止にされる奉公人が出てくる。ソース>猿後家 さるごけ | 落語あらすじ事典 Web千字寄席
  • 八郎兵衛が牡丹餅をたべて犬になるのは、『旅人馬』という昔話のパロディか。街道の途中にある老婆の家に泊めてもらい、すすめられるまま餅を食べた連れが馬になってしまう。主人公は逃げ出して馬を人に戻す方法を探す。
  • 犬の子さいさい、のこのこさいさい、おきやがれ…:おそらくは子守歌の歌詞で、犬の子さいさい は ねんねんさいさい、最後の「おきやがれ」は「おきゃがれ小法師」と続きそう。
  • かさね(累):累ヶ淵という怪談に出てくる娘の名前。非常に醜いため夫に憎まれて殺される。夫と後妻との間にできた娘に祟るが、祐天上人に供養され成仏する。歌舞伎芝居などの題材になっている。
f:id:chinjuh3:20220303064533p:plain
信太妻の気取りで歌を書き残して去る八郎兵衛