@chinjuhさんと読む草双紙・はてな出張所

ばけものが出てくる草双紙のあらすじ等をまとめたものです。草双紙は江戸時代の絵本です。

鬼の趣向草(おにのしこぐさ)

https://honkoku.org/app/#/transcription/EE0898C068A8A3F7AFE3EE1DDF33FA0B/1/
# 上記リンク先ではくずし字の原典と、それを現代の文字に置き換えた翻刻文の両方を読めます。

りょうごくのひょうばんむすめおにのしこぐさ
両国のひょうばんむすめ 鬼の趣向草

発行年:1778年(安永七)
作:不明
画:不明


 この話に出てくる鬼娘は、実際に両国広小路の見世物小屋に出ていた少女がモデルになっています。ストーリーは完全に創作で、見世物小屋の話題作りのために作られたもののようです。この鬼娘は「正真(しょうじん)の鬼娘」と呼ばれていて、当時大評判でした。江戸時代の出来事を記した『武江年表』にもその記録があります。

 「正真の」と言われているのは、この鬼娘が大評判になったあとで、川の向こう岸(両岸に広小路があった)の見世物小屋に偽物の鬼娘が出たからのようです。偽物のほうは普通の少女が作り物の角や牙などを身につけていたようですが、こちらも大人気だったと言います。鬼娘の件は、草双紙の『化物昼寝鼾』にも「正真の鬼娘が出ればすぐにまがえ(紛い)が出る」と話題にされています。

登場人物

物語

 川中島善光寺の山奥、戸隠山に鬼が住んでおり、子供や時には大人もさらわれると、都でも知られるようになる。帝が余五大将・平維茂に命じて退治させることになる。維茂が善光寺如来に祈願したあと山へ入り…(この先破れが多くてよくわからないが)、二八ばかり(十六才)に見える鬼の娘が現れたので打ち取る。

 鬼娘は維茂を酒の肴にしてやろうと襲ったのに逆に打ちとられて地獄に落ちてしまう。地獄で鬼の仲間にしてもらおうとしたら、善光寺如来が人々を救いすぎてみんな極楽へ行ってしまうので、地獄は大変な不景気で、地獄の釜に蜘蛛の巣が張っているほどだった。鬼も仕事がなく、することもないのでめくりカルタをしてはした金を稼いでいる。

 妙な罪人が来たと思って見れば人ではなく戸隠山の鬼仲間の娘だった。そこで閻魔は地獄の有様を語り、娑婆の勝手を知っている鬼娘に善光寺如来に茶々を入れに行くよう頼む。こうして鬼たちが力任せに娘を娑婆へ扇ぎ帰す。

 鬼娘は娑婆へ帰されると善光寺に向かうが、如来は江戸表で開帳で留守だった。急ぎ江戸へ向かい、夜に牛若丸の姿で両国橋の欄干を歩いていると、橋番が不審者と見て金棒で殴ろうとするが、鬼娘は奪い取って川に捨てる。これが鬼に金棒の言われである。以来、橋番は金棒をやめて六尺棒を持つようになった。鬼娘は開帳札の立つ場所で人間どもを見ながら、これから俺に食われるのにバカなやつらめと笑う。

 どうやって如来の邪魔をしてやろうと考えていると、参詣の人々が高提灯を手に大勢やってくる。しかし鬼娘には人々の声しか聞こえない。それもそのはず、人々は如来の光明の中を歩いているので鬼娘がどんなに目を剥いても見えないのである。人々も鬼娘の恐ろしい姿を見ることはなかった。

 如来の邪魔(人を地獄に落とすこと)がうまくいかず、腹を減らした鬼娘はたまたま目についた瓜・西瓜を売る店に飛び込んでまくわ瓜を食べ始める。売り手が慌てて人に知らせに行くが、これをまくわ瓜の鬼をすると言い習わす(この部分意味がよくわからない)。この騒ぎで人が逃げてしまったので、鬼娘は好き勝手に暴れて、煮しめを売る店で昆布(こぶ)を残らず食べてしまう。鬼にこぶを取られると言うのも(こぶとり爺の話)この事であろう。

 鬼娘は善光寺如来をたずね歩くうち「とんだ霊宝(戯開帳、とんだ開帳)」の見世物を見つけ、今度こそ如来の邪魔をしてやろうと三尊像をぶち壊すが、もとより干物で作った偽物なので簡単に砕け散る。

 鬼娘が出ると江戸中で評判になり、鬼除けのために五月の晦日を大歳として松を立てて豆をまいた。

 戯開帳の干物の三尊像をぶち壊した鬼娘は、それでも人々が集まってくるのを不思議に思い、姿を消して群集についていく。そこには本物の善光寺阿弥陀如来三尊像があったので、さっきのは騙されたのかと怒る鬼娘。しかし如来の光明により大塔婆が倒れ鬼娘はその下敷きに。娘は心を入れ替え合掌する。如来は見世物師をお呼びになって、見せしめのために両国広小路で鬼娘の見世物をするように言う。鬼が初めて阿弥陀を見て拝んだので鬼の目に阿弥陀(あみだ)であるが、世間では間違って鬼の目に涙(なみだ)と言っている。

 こうして鬼娘は両国広小路の見世物小屋に出るようになる。鬼娘の姿は生まれつき口が耳まで裂けていたが、親の慈悲で縫い縮めた跡がある。歯は乱杭歯。袋角といって角の形もある(鹿の角が一度落ちて新しく生えてきた時のような皮膚を被った角のこと)。

 また、「この娘の出所因縁は二冊の双紙でお耳に入れます通り」と口上を述べているので、この本が見世物の宣伝用に作られたものだとわかる。

疑問点

コマ06
 左ページの台詞で「すりこ木で閻魔と出かけ様子をうかがうべし云々」「旅宿?は蔵前?としよう」というのがなんらかの芝居と関係があるのではないか(直前で鬼が助六と意休の話をしているのもヒントか)。

コマ07
 挿し絵で鬼娘の後ろへ男が近付き尻をつねっている。文章はかすれた部分がありはっきりとはしないが、つねられて振り返ったのが美しい稚児だったので男が気を失うというような事が書いてある。

  • 稚児の美しさに感嘆して気を失ったのか?
  • 女の子だと思ったのに少年だったので、その気がないためショックで気を失ったのか?
  • 「うつくしきちご」と読める部分が実は別の言葉(読み間違い)なのか?
    • なお鬼娘は女の子ですが、牛若丸のなりをしているので稚児(少年)みたいに見えた可能性はあります。

 尻(おいど)をつねった男が「これをおにとのしやれといふべきか」と言っているが、おにととは何か。

コマ10
 「鬼をする」は毒味をするという意味だが、鬼娘がまくわ瓜を食べているのが毒味だと何が面白いのかよくわからない。同じコマにある昆布をとられる←瘤をとられる(こぶとり爺)、みたいな元ネタがありそうだか?

コマ12
 江戸中で豆まきをして「門の暖簾に豆屋と書いて」と歌?をひき、まったく天に口なし人をもっていわしむるというのはこの事だとあり、これも冗談になってるはずだが意味がわからない。

コマ13
 「たんばぐりのかんばんに鬼のねんぶつ申句?(があるが)これを(鬼娘が大塔婆の下敷きになり如来を拝む様子)を見てこしらへしものか」とあるが、そういう看板があったのか、あるいはそのような俳句があったのか。

 見世物師が「お前様への冥加銭はしてやんしてどういたしましょう」と言っているのは何の台詞か?

メモ

  • 余五大将:平維茂(たいらのこれもち)のこと。平貞盛の養子で十五番目の子供だったので十に余り五の君、余五君と呼ばれていた。

さうづがは(そうずがわ):三途川を江戸時代にはそうずがわと読んだ。三途川の婆は脱衣婆のこと。

  • 〜と出かける:これから何かをしようという時に言う。今の言葉なら「こう暑い日には縁側でビールと行こう」というようなニュアンスで「ビールと出かける」などと言う。
  • 三国伝来:インドから中国を通って日本に伝来する事。三国は当時の感覚では世界のような意味。三国一の花嫁などの「三国」。
  • さんろう(参籠):祈願のため寺などにこもること。
  • あり合う:あたまたま居合わせること。たまたまそこにあること。有り合わせ。
  • しゃなぐる:むしりとる。かなぐる。
  • おいど:尻のこと。
  • おにと:不詳。おいどにかかる洒落になっているはず
  • ちよこなめずき?:不詳。挿し絵で鬼娘の尻をつねっている男の事を言っているようなので、悪戯好きくらいの意味だろうか。あるいは尻フェチとか、女好きとか、そういうような意味の隠語かもしれない。
  • たかちょうちん(高提灯):幟(のぼり)を立てるための棒のようなものに提灯をつけたもの。
  • せったい(摂待):施し。ふるまい。施しのために往来の人に無料で茶をふるまう摂待場というのがあったという。
  • 鬼をする:毒味をするという意味。
  • 正じん(正真):本物。正真正銘の正真だが、昔は「しょうじん」と読んだ。
  • ひろごる:広がる
  • とんだ霊宝:御開帳の参詣に来た人たちをあてこんだ見世物で、干物や日常品などを使って三尊像のような霊宝を作り、面白おかしい口上で笑わせる御開帳のパロディー。戯開帳(おどけかいちょう)。この資料には「とんだ開帳」と読める幟も描かれている。
  • 東方朔:武帝の時代の政治家だが、三千年に一度しか実を付けない西王母の桃の木から桃を三回も盗んだという仙人みたいな伝説がある。

三尺の剣を抜いて…:獅子舞をする時の神歌にそういう歌詞があるそうで、現在でも山梨県道志村では「三島に鹿島に諏訪、戸隠、玉津島。住吉様は笛の役、しらひげ鼓、締めて打つ、うすめの命はまいこの役、鈴振り上げては神歌を歌ううたあり。みな三尺の剣を抜いては悪魔を払う。そこらです。」という歌で獅子が舞うお神楽をしているとか。

  • 両国広小路:隅田川にかかる木造両国橋が大火事が出ても類焼しないように橋の両端に建物のない広場が設けられていた。これを両国広小路と言って、普段は見世物小屋などが立った。
  • 大とうば:大塔婆。御開帳の際に、本堂前に立てる大きな柱で卒塔婆の形をしている。この柱と御本尊様が五色の紐で結ばれており、柱や紐に触れることで御本尊様に触れたことになるという趣向もあった。信州信濃善光寺ではこの柱のことを回向柱(えこうばしら)と呼んでいる。
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鬼娘の見世物の様子
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高提灯を持って御開帳に集まる群集。後述の『武江年表』にもこの様子が記されている。
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とんだ霊宝を本物の如来と思い込んで破壊する鬼娘。とんだ霊宝についても『武江年表』にある。

以下は『武江年表』より抜き書き。読みやすいように改行を加えました。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949631/78

同日【安永七年六月朔日】より閏七月十七日まで、回向院にて、信州善光寺弥陀如来開帳、この時開帳繁昌して諸人群をなす。

暁七時頃より棹の先に提灯多くともしつれて、高声にて念仏を唱へて参詣するもの多し。

平賀鳩渓、烏亭焉馬が求によりて工夫をなし、小き黒牛の背に六字の名号をあらはし、見世物に出して利を得たりといふ。

又、鯰江現三郎、古沢甚平といふもの細工にて、飛んだ霊宝と号し、あらぬ物を見立て、仏菩薩などの類に作りたる見せもの、鬼娘といへる見せものなど、いづれも見物多く賑ひしとぞ。

筠庭云、此時鬼娘は、橋向にも似せもの出来て、是もはやる。

飛んだ霊宝略縁起は焉馬述、このみせものはやりて、両国に三ヶ所、山下に二ヶ所出来たり。

平賀源内が作、宝生源氏金王桜といふ浄るりに、両国鬼娘のみせ物を作りたり。

この開帳の朝参りは、頓に禁ぜられたり。

  • 烏亭焉馬:江戸時代の落語家。立川談洲楼と同一。
  • 平賀鳩渓:平賀源内の画号。
  • 鯰江源三郎:鯰橋源三郎とも。とんだ霊宝の細工人のひとり。
  • 古沢甚平:とんだ霊宝の細工人のひとり。
  • 喜多村筠庭:江戸時代後期の考証家。通称は彦助、のちに彦兵衛とも。名は信節(のぶよ)とも言う。字は長岐。筠庭,静舎など。