@chinjuhさんと読む草双紙・はてな出張所

ばけものが出てくる草双紙のあらすじ等をまとめたものです。草双紙は江戸時代の絵本です。

分福丹頂鶴(ぶんぶくたんちょうづる)- 分福茶釜

 久しぶりにKindle用に翻刻本を出しました。今回は古文編は原典をそのまま現在の文字に置き換えており、句読点や漢字を補いませんでした。文章がどこで切れるのか、平仮名ばかりの文章を漢字で書いたらどうなるのかなど、パズルのように考えながら読んでみてください。後半に現代語訳もつけてあるので、答え合わせになると思います。買い切り300円。Kindle Unlimited会員なら追加料金なしで 0円です。


https://drive.google.com/file/d/1EWDHui1_LbJ4mVMclP2bltYhxPRxIhQ3/view?usp=sharing
 「古文編」のみ↑ここで無料で公開しています。現代語訳がいらない方はこちらで十分楽しめると思われます。なんという大盤振る舞い。いや、みんなで翻刻コラボの時も古文編は無料なのでいつも通りかな(笑)ちょっと解像度高めで読み込みに時間がかかるかもしれないですが、気長に待ってみてください。ダウンロードもできます。


ぶんぶくたんちやうづる
分福丹頂鶴
# 単に分福茶釜(ふんふくちやかま)というタイトルで所蔵している図書館もあるようです。
発行年:1758年(宝暦八年)
作:不明
画:鳥居清満
版元:鱗形屋

所蔵:国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/8929955/1/1

登場人物

  • かまや(釜屋):守鶴に金四両で釜を売るが受け取った金が木の葉になってしまい怒っている。着物に「小」の印。
  • しゆくわく(守鶴):しゅかく。上野国館林茂林寺の納所坊主(雑用をする位の低い僧侶)。実は百歳の古狸だが、茂林寺の住職はそのことを知っていて寺に置いている。着物に「鶴」の印。
  • ぢうそう(住僧):じゅうそう。ここでは茂林寺の住職のこと。着物に「尚」の印(和尚の尚)。
  • 小僧たち:守鶴が尻尾を出して昼寝しているのを見て驚く。
  • きね蔵:きねぞう。なぜか名前が出てくるのにチョイ役で。茂林寺の沼に現れた鶴を見て「この前まで寺にいた納所坊主の生まれ変わりだ」と発言するだけ。

# ほかにも着物に印のある登場人物が何人が出てきますが、特に役割もないモブばかりです。

物語

(上巻)
 茂林寺の納所坊主(なっしょぼうず)である守鶴は四両で茶釜をあつらえる。しかし払ったお金がすべて木の葉に変わってしまったので釜屋が怒って怒鳴り込んでくる。守鶴は「今は持ち合わせがないが、四五日中には八両にして払う」と約束。釜屋はすごい剣幕で「この痴れ者め(大馬鹿野郎が!)」と言いながら帰る。そんなお金があるとは思えないのでおそらく泣き寝入りしたことだろう。釜屋らしき男はこのあとも出てきて守鶴からお茶を振る舞われたりしている。

 茂林寺の和尚(住僧)が守鶴の茶釜で茶を煎じると、途中で水を注ぎ足さなくても四五日の間ぶんぶくぶんぶくと煮えて尽きることがなかった。お茶を呼ばれた客人たちはみな大喜び。

 守鶴は六十歳くらいで、たいそう字がうまかった。人々に好まれて「福」という文字を書いた。この文字を書いてもらった人はみな幸運をつかむというので、福を分けるという意味で「ぶんぶく」と呼ばれた。

 ある日、和尚が守鶴に用事があるというので小僧たちに呼びに行かせるが、小僧が部屋を覗くと百歳も生きただろう古狸がいびきをかいて寝ていた。驚いた小僧たちは駆け戻って報告するが、和尚は最初から知っていて、そっとしておきなさいと言う。

 守鶴は正体を見られた事を察したのか、年を取りすぎたことを理由にしきりに暇乞いするようになる。和尚は「お前がいなければこの寺はもたないよ」と引き止める。
(下巻)
 和尚はなんとか引き止めようとするが、守鶴の決心が固いので折れる。寺を去る前に、守鶴は筆をとって「終亦始」と書き残す(上巻が終わり、下巻が始まったという洒落でもある)。

 守鶴は寺を去る名残に昔の出来事を目前にお見せしましょうと人を呼び集め、狸の姿を現して、八嶋(屋島)の合戦の様子などを化けて見せる。

 また和尚が仏済世の様子を見たいと言うと、霊鷲山の説法の様子に化け、双林の入滅の様子にも化けた。それを見た人たちは非常にありがたい気持ちになり、自然と仏の心を理解した。

 すると何もかも消えてもとの茂林寺にもどり、守鶴も姿を消してどこへ行ったかわからない。

 それからしばらくすると、茂林寺の境内にある多々良沼に鶴が子育てに来るようになる。鶴の雛が巣を出て歩き回るようになると、親鶴は雛を連れて茂林寺の本尊に礼拝するようになる。それを見た人たちは「この前まで寺にいた納所坊主の生まれ変わりに違いない」とうわさしあうのだった。

メモ

 内容にツッコミ所が多い。地誌ではないので情報がテキトーなのかもしれない。

  • 茂林寺上野国立ばやし(館林)ほりかい村にあると書かれているが、実際には掘工村(ほりくむら、現在の掘工町)にある。かつて「ほりかい」と呼ばれていた事もあるのだろうか?
  • 茂林寺曹洞宗の禅寺(だと作中にも書いてある)なのに、不思議な茶釜を見て「こうぼう様の御利生茶釜じゃ」と口走る客人がいる。弘法様だとすれば真言宗の開祖。
  • 茂林寺の境内に「たたら沼」があると書かれているが、多々良沼茂林寺から6kmほど離れた所にあり、離れた場所に寺の領地があった可能性は否定できないけれど、茂林寺のすぐ近くに茂林寺沼という別の沼があるのでそっちの事かもしれない。
  • 茂林寺に飛来した親子の鶴を見ている村人たちの上州訛りに謎の語尾がついて面白い事になっている。「〜だんべえ」は正しく上州訛りだが「〜だんべえもさ」は別の土地の訛りが混ざってるんじゃないだろうか?
  • 土地の者らしき「ぬくたて(ふくたて?)村のきね蔵」が出てくるが、ぬくたて村にしても、ふくたて村にしても、上野国にそういう村はなさそう?(あったら教えてください)

 なおこの話に出てくる守鶴という僧侶は茂林寺の伝説に本当に出てくる人物で、この本の創作というわけではない。守鶴が使ったとされる茶釜も茂林寺に残っている。

 ブログ筆者は守鶴の茶釜を最低でも2回(もしかすると3回)見ているはずだが、なぜかほとんど記憶に残っていない。見に行った記憶はしっかりあるのに茶釜そのものは思い出せないという謎の体験をしている。最初は本当に幼児の頃、親に連れられて行った。ガラスのケースに入れられた黄金の茶釜は鮮明に覚えているが、どうもそれではないらしい。2度目はたぶん小学校の遠足で行ったような気がするがぜんぜん覚えていない。3度目は大人になってから、茶釜が見たくて行ったのによく覚えていない。ここまで来ると逆に超常現象なのではないかとすら思うが、おそらく特別な事もない単なる古い茶釜で印象に残りにくいのだと思う。特別なのは守鶴という僧侶のほうで、茶釜はごく普通の茶釜なので。

守鶴が四両で買った釜で茶を煎じる和尚。釜からお湯がぶんぶくぶんぶくとあふれ出す。
アイキャッチ用丹頂鶴