@chinjuhさんと読む草双紙・はてな出張所

ばけものが出てくる草双紙のあらすじ等をまとめたものです。草双紙は江戸時代の絵本です。

雨宮風宮出儘略縁記(あめみやかぜみやでほうだいりゃくえんぎ)

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# 上記リンク先ではくずし字の原典と、それを現代の文字に置き換えた翻刻文の両方を読めます。


あめみやかぜみやでほうだいりゃくえんぎ
雨宮風宮出儘略縁記
発行年:1798年(寛政十)
作・画:十返舎一九

登場人物

  • 十返舎一九:作者本人。家にいると編集が原稿の催促に来るからぶらぶら出歩いて偶然人にあって御馳走されたいと思っているが、雨続きで困っている。
  • おてんとうさま(お天道さま):太陽のこと。天界で一番偉い。あまてらすおほんかみ(天照大神)のことだが、子の話のなかでは女神ではなさそう。
  • お月さま:雨続きなので家で寝たり起きたりあくびしたり退屈そう。
  • うせいせい:どんな字をあてるかわからないが、雨を支配する星だと書いてある。
  • 雨仲間、雨手合い:雨を降らせる者たち。
  • 雷:雨の仲間。太鼓を叩いて雨をたきつける。
  • 風の神:雨雲を吹き払って晴れにする。雨と敵対している。
  • 風仲間、風手合い:風を吹かせる者たち。
  • かいる:カエルのこと。歌を詠むことで知られている。かわづとも呼ばれている。雨の仲間。
  • 小野小町歌人。かいるに雨乞いの歌を頼まれる。
  • てるてるぼうし:てるてる法師。風に頼まれて祈祷をして龍神を封じる。
  • 黒雲・白雲:こくうん、はくうん。雨の仲間。てるてる法師の弟子になったふりをして龍神の封印をとく。
  • 器量よしの天人:鳴神の雲絶間姫みたいにてるてる法師を色仕掛けで落とす。

物語

 ここに十返舎一九というものがあり、家にいると本屋から原稿の催促をされるので年中ぶらぶらして、ちょうどいいところに行き合って御馳走になるのが大好き。でもこのところ雨が続いて出歩けないので、はやくあがればいいなと空ばっかり見ている。

 あんまり雨が続くので、天ではお天道さまもお月さまもうちにばかりいて寝たり起きたりあくびばかりしてる。きっと下界では難義しているだろうと、お天道さまは雨を支配する「うせいせい」というものを呼んで様子を聞くが、ちょうど八専入りして梅雨でもあるので降らせないわけにはいかないという。しかし降り続けに降るのはよくないと、雨と雷にたまには休むように言う。

 雨はお天道さまにいやみをいわれて、その日の夜は久しぶりに雨を休ませた。久しぶりにお月さまがぶらぶら出歩くが、まだ黒雲が散らかっているので笠を手放せない。お月さまが笠を(暈を)かぶると雨になるというのはこのせいである。それからまた雨が強くなったので、お天道さまは星を使者にたてて風に雨を吹き払うようにと仰せ付ける。

 天道さまの仰で風の神が風をふかせたので雨が吹き払われて雨がやんだ。天道さまは久しぶりに出かけて世界中を照らしたので人々は喜んだ。

 雨は風に吹き払われて腹をたてているが、我がままに降るとお天道さまから苦情がくるだろうから、ゆうだちのお触れでもあったら暴れてやると今は我慢している。雲たちもむかっぱらを立てている。その横で雷が太鼓を叩いてたき付けるのでいっそう腹が立つ。人をたき付けることを「太鼓を叩く」というのはこの雷がもとである。

 雨粒は日頃親しくしている蛙に雨ごいの歌を詠んでもらおうとするが、蛙は自分の歌などで雨はふらないだろうと小野小町に頼みに行く。小町の歌を聞いたお天道さまは、歌に感応したのか、はたまた小町に贔屓したのか、雨をふらせるように言い渡す。

 小町の歌でまた雨が降り始めたので、風の神は怒っててるてる法師に祈祷を頼む。これには天道さまも見ぬふりは出来ず、もう小町への義理立ても必要ないだろうと、、また晴れ切った天気になる。

 てるてる法師の祈祷でまた晴れてしまったが、これはきっと法師のやつが世界中の龍神を封印してしまったからだろうと、黒雲と白雲をほうしの弟子につけて、器量よしの天人をおくりこんで色仕掛けで封印をとくことにする。詳細は歌舞伎の鳴神と同じなので以下略とのこと。

 また雨が降り始めたので風たちは寄り合い、昔から「四つ旱」というので四つ時ごろに地震があれば晴れるだろうと、なまずに頼んで地震を起こしてもらうことにする。

 風はまいない(賄賂)を用意してなまず地震の神)の御機嫌をとりながら四つ時にちょっとだけ地震をおこしてくださいと頼む。そうしてまた日照りになったので、雨たちは「今日の地震も風仲間のもくろみらしい」と話し合い、意趣返しの手はないかと話し合う。

 また晴れてしまったので、お天道さまに納得してもらって雨をふらせるにはどうすればいいか考える。勧進相撲晴天十日というのを天の川原で興行してはどうか。下界の相撲は降ったり降らなかったりするが、天界では降るのが古例なのでお天道さまも昔からの例には逆らえず、いいように降らせなさいとの仰せで、雨仲間は羽目を外して降らせる。

 相撲が始まるとまた雨が降り出したので、風たちは「昔から御講日和というから」と言って、寺をまわって報恩講を前倒しにして行ってもらったのでまた晴れ続きになった。

 御講日和でケチをつけられた雨たち。この本も残り一枚か二枚なのでてきぱきと話をすすめ、もうアイデアを出してる場合ではない。お天道さまのおしかりは覚悟の上で雨を降らせる。風も一歩も引かずに大げんかになる。

 酷い風雨にお「八十八夜は過ぎたし、二百十日にはまだ早いのに、一体どうしたものだ」とお天道さまが出てみれば、雨と風が大げんかをしている。世界の人々を悩ました事は捨て置けないが、自分の指図も悪かったのだろうと、雨と風になかなおりの杯を渡して今回ばかりは許すことにする。

 こうして雨と風はなかなおりして以後はまじめに勤めたので伊勢神宮のかたほとりに雨の宮、風の宮と祀られて今に残っている。

メモ

  • てんぢよく:どんな字を当てるかはわからないが太陽や月や星や天人がいる天界のこと。
  • しゆんまん(俊満):窪俊満のこと。浮世絵師、戯作者、歌人。一九は頑張って戯作しても誰も誉めてくれないから、「刷り物気取りは尚佐堂」なので来年は俊満さんに仕事を頼みたい、くらいのことを書いてる。きっとこの人が挿し絵を書くと表紙買いしちゃう人がいる感じだったんだろう、たぶん。

しやうさどう(尚左堂):俊満の画号。

  • うせいせい:不詳。雨を支配する星だと書いてある。
  • 八専:十干と十二支の五行が一致する人専一といい、干支の49〜60番目には専一画八回あるため八専と呼ばれる。和漢三才図会に「このときは天気は朦朧として鬱で、多くは陰雨(ながあめ)となる」とある。
  • むぐらもち:モグラのこと。
  • かよいちょう(通い帳、通帳):昔は酒屋などで買い物する時、そのつど払うのではなくて、いつ何を買ったと帳面につけておき、あとでまとめて払うのが普通だった。その帳面を通い帳という。信楽焼の狸が手に持っている帳面もこれ。
  • にょうごじま(女護島):吉原や大奥のような男子禁制の場所のことを言う。
  • 尻がくる:苦情が来るとう意味。
  • 振出し:ティーバッグのような状態で、熱湯に浸けて成分を振り出す薬。振出し薬。
  • むしやしないをする(虫養いをする):小腹を満たすという意味。
  • 蛙の歌を詠む子とは住吉明神の話…:能の『白楽天』の話。唐の詩人・白楽天が日本の知力を試そうと船でやってくる。白楽天がそのあたりの美しい風景を漢詩に読むと、たまたま出会った漁夫が即座に和歌に翻訳する。漁夫は「日本では蛙でも歌を詠む」と言って住吉明神の正体をあらわし、白楽天を神風で唐土に吹き戻す。
  • 蛙が歌を詠む:唐の詩人白楽天が、日本の知力を試しに来る。白楽天が風景を漢詩に読むと、漁夫が即座に和歌に翻訳し、日本では蛙でも歌を詠むと言う。漁夫の正体は住吉明神で神風を吹かせて白楽天を唐に送り返すという話。
  • 弾指:フィンガースナップ、指パッチンのこと。指を鳴らすくらいの短い間のこと。仏教用語。辞書によれば一万二千弾指を一昼夜とするそうで、そんなことを言われると計算せざるをえないのだが、一弾指=7.2秒となる。また弾指より小さな単位として刹那がある。一説によれば 一弾指=六十五刹那 とのこと。
  • 小野小町:小町に雨ごいの歌を頼むのは、小町がある日照りの年に勅命をうけて雨乞いの歌を詠むとたちまち雨が降ったという伝説から。その歌は「千早ふる神もみまさば立さわぎ天のとがはの樋口あけ給へ 」とも「ことはりや日のもとなればてりもせめさりとてはまた天が下とは」とも。この伝説は『鳴神』という歌舞伎芝居にも取り入れられている。
  • なるかみ(鳴神):歌舞伎十八番鳴神上人は皇子誕生の祈祷をするが天皇が約束の報酬を払わなかったので龍神を封印して旱魃を起こす。朝廷は絶世の美女・雲絶間姫を上人のもとに送り込み、色仕掛けで上人を泥酔させて龍神の封印をとく。この話の途中に雨乞いのアイテムとして小町の歌が出てくるらしい(お芝居そのものは見た事はないけど)。
  • 三助舞ったり:南京操り(糸操り)で獅子を舞わせる時の掛け声。またその芸のこと。『江戸語の辞典』/後に「待ったり」の字をあてて「ちょっとまった」の意味として使われるようにもなったとか。
  • 蛙は口から:蛙は鳴くので蛇にみつかって食われてしまうことから、余計なことを言って失敗するという意味。
  • てるてる法師:てるてる坊主のこと。
  • 天王寺屋:歌舞伎役者・中村富十郎の屋号
  • さんこう(三光):二代目中村富十郎の俳名。ただし、この本は寛政二年(1798年)のものとされているので、二代目はまだ12〜3才だったはずなので、初代のことを言っているかもしれない。初代・二代目ともに女形
  • ふじたろう(藤太郎?):不詳。
    • 初代中村藤太郎(=四代目中村歌右衛門)という役者がいるが、寛政二年生まれなので違う。
  • 九は病、五七の雨に、四つ旱、六八ならば風と知るべし:地震が発生した時刻により次に起こる災いを占う方法。
  • 五風十雨:五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降ること。農作に適した天気とされる。
  • けいはく(軽薄)を言う:人の御機嫌をとること。おべっかをつかう。
  • 御講日和:おかうびより、おこうびより。報恩講がある十一月(新暦で1月ごろ)に晴れる日が続くこと。
  • 勧進相撲晴天十日:昔の相撲は寺や神社の境内で○月のうち晴天の日に十日間開催と決まっていた。勧進とは寺や仏像を作るために寄付を集めること。または人を仏道に向かわせること。/安永七年まで晴天八日だった。
  • 相撲の太鼓がまわる:挿し絵では大太鼓を棒に下げて二人がかりで担ぎ、それをもう一人が横から叩いている。相撲があるよと知らせるために太鼓を担いで叩いてまわることらしい。
  • てきはきと:てきぱきと。手際よく進める様子。この時代にすでに使われていた。
  • 無二無三:むにむさん、むにむざん。唯一ということ(二つとない、三つとない)。または脇目もふらずという意味(遮二無二)。
  • まんがわるい=間が悪い。
  • あったら口にかぜをひかす(惜口に風を引かす):言った事が無駄になる。
  • あまてらすおほんかみ:天照大神。この話に出てくるお天道さまは最後に「あまてらすおほんかみ」として拝まれるようになるが、女神らしい様子はまったくない。どちらかといえば男神のような印象がある。
  • 雨の宮・風の宮:この物語でなかなおりした雨と風は、あまてらすおほんかみの社のかたほとりに祀られたとある。伊勢神宮末社に雨の宮・風の宮は実在する。/伊勢参りの案内人が、多くの末社にやたらと賽銭を出させる事から、出費がかさむこと、出費の原因になるお取り巻き連中のことを「雨の宮・風の宮」と言うことがある。

疑問点のまとめ

  • コマ5:うせいせい。どんな字をあてるか。
  • コマ10:下段右ページは野菜の名前をならべた童歌のようなものに見えるが、「くずのあかたけ」なのか「ありたけ」なのか、「ゑいからし」なのか「ゑいかうし」なのか判断がつかない。また、 下段左はてるてる坊主の顔をへのへのもへじ式に文字で書いた事を言っているように見えるが、「に(ふ?)」ばかりで「な」を大きく○をして…などで顔になる遊びに心当たりがない。
  • コマ11:下段の台詞で雲絶間姫役の天人は「天王寺屋」の「三光」だと言っているが、二代目中村富十郎のことならこの時代まだ12才くらいだったはず。もう女形として有名だったのかどうか(あるいは初代中村富十郎が三光の俳名を使っていたのか)。
  • コマ11:僧都は「ふじたろふ」だと書いてあるが誰のことか。
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鳴神の気取りでてるてる法師を誘惑しようとする雲たち

花芳野犬斑(はなはみよしのいぬはぶち)

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せんじかいだん・はなはみよしのいぬはぶち
先時怪談・花芳野犬斑

発行年:1790年(寛政二)
作:山東京伝
画:北尾政演(京伝と同一人物)

登場人物

  • 狗国の男女:男は犬で、女は人。
  • ちゃがまばばぁ:人を犬に変える妖術を使う。
  • ふるてや八郎兵衛:ちゃがま婆に犬に変えられてしまう。
  • おつま:八郎兵衛の妻。元は江戸の芸者。
  • 入道高時:北条高時のこと。相模入道ともいう。名前だけ。

物語

 『唐土訓蒙図彙』に狗国(くこく)は男はみな犬で、女は人で漢語を話すとある。しかし色の道は普通の人間と変わることはなく、犬の姿の男と人の姿の女は愛し合った末に心中することになった。二人の胸から抜け出した魂は日本に向かって飛んで行く。

 入道高時の頃に、鎌倉の北に先時村(せんじむら)というのがあり、ちゃがま婆ァというものがいた。婆は道行く旅人を家に泊めては牡丹餅を食べさせるが、食べた者はみな犬になってしまう。その頃、入道高時は犬を集めていたので、これを売りつけて儲けていた。婆の妖術は、冬に大量の牡丹餅を作り、夏になってから人に食べさせるというもので、夏の牡丹餅は犬も食わぬというのはこのことから生まれた言葉である。

 ここにまた鎌倉扇ガ谷の とびさはてう(飛沢町?)に古着の仲買いをする ふるてや八郎兵衛という者がいた。古着の買い付けで田舎へ行く途中、ちゃがま婆の家に泊まるが、牡丹餅を一口食べたところで悪い予感がして残りは食べたふりをしてやりすごし、夜中にこっそり抜け出して家に帰ることにした。婆の家には犬が沢山いて吠えついてきたので、桃太郎の気取りで携帯食の焼き飯を与えて黙らせた。

 八郎兵衛は牡丹餅を一口食べてしまったので姿は犬のようになってしまったが人と同じように歩き話すことができたので自分では姿が変わったことに気付かなかった。家に帰り着くと妻のおつまは夫の顔を見て驚くが、何か事情があるのだろうと素知らぬ顔をして「私を可愛いと思うなら、決して鏡を見ないでおくれ」と言い、隣近所にも口止めして普段通りに扱った。

 やがて二人に息子がひとり生まれるが、その子が外で遊んでいる時、見知らぬくず拾いが通りがかると四つんばいになってわんわんと吼え始めた。それを見て八郎兵衛はハッとして、妻に禁じられた鏡を見て自分が犬になっている事に気付く。犬になってしまっては今まで通り暮らしてはいけないと、息子を寝かしつけて「恋しくばたずねきて見よ初雪や、犬の足跡梅の花かな」と歌を残して信太妻の気取りで家を出る。

 おつまが歌のとおり雪に残った犬の足跡をたどって行くと八郎兵衛が里外れで切腹しようとしている。腹を切り裂くと牡丹餅の気が抜け出して八郎兵衛はもとの色男に戻った。

 すべては先時村で牡丹餅を食べたせいだと思い、ちゃがま婆を代官所に訴え出る。鉄砲で追いつめられた婆は犬神の正体を現し、口から二つの魂が飛んでいった。この魂は狗国から飛んできて八郎兵衛とおつまに入った魂である。

 それから八郎兵衛は息子にマチンを飲ませて犬の気を払ったので、息子も本当の人間になった。この怪談は鎌倉では有名になり、大磯あたりの郭では、狐拳(じゃんけんのような三すくみのゲーム)をやめて犬拳というものをするようになった。
 

メモ

  • 先時村:不詳。鎌倉の北にあると書いてある。
  • とびざわてう:不詳。漢字は飛沢町か、鳶沢町だろうか。鎌倉扇ガ谷にあるとされている。
  • おうぎがやつ(扇ガ谷または扇ヶ谷):鎌倉の地名。JR鎌倉駅から北鎌倉駅の間あたりのことを言う。
  • 夏の牡丹餅は犬も食わぬ:暑い時期の牡丹餅は腐りやすく食あたりを起こすことから。決して冬の間に作るからではない。
  • うりしろ(売り代):売って得たお金。代金。
  • それよしか:草双紙でみかける決まり文句。「それでいいか」というように相手に念をおす表現。ただし、日常的に使われるものかというと疑問がある。博徒など特定の業界で使われる言葉なのかもしれない。
  • 飯をずいやりの、ぐつと尻をずいばしよりの、ずい逃げた:「ずい」は、ずずずいっと御願い奉りますの「ずい」。ずっと、つつっと、ついっとなどの擬音。何にでもズイをつけて言うのは通人の流行り言葉かもしれない。芝居かなにかの台詞に使われて広まった可能性も。
  • 熱をふく:言いたい放題のことを言う。
  • 谷風:相撲取りの名前。この本の四年後くらいにインフルエンザにかかって現役中に死去。その年に流行したインフルエンザは谷風(風邪)と呼ばれている。落書きの横顔は谷風の似顔絵か。
  • たなうけ(店請け):長屋に入居する時に保証人になってくれる人。
  • おそかりし○○:仮名手本忠臣蔵四段目の台詞、「遅かりし由良之助」のパロディ。
  • 自腹:自分のお金で支払うことを自腹を切るというのは江戸時代からあった。多すぎる出費を痛いというのも同じ。
  • 鉄砲:うそ、おおぼら、でたらめのこと。
  • 朝鮮長屋:浅草陸尺屋敷の通称で岡場所として知られている。朝鮮使節の下官の宿所があったことに由来する。
  • ぼんぼんぼんはけふあすばかり:民謡の歌詞。今でも松本市に「ぼんぼんとても今日明日ばかり」と歌いながら着飾った少女が練り歩くお祭りがあるとか。民謡の歌詞には共通のパターンがあるので松本市のぼんぼんと同じ歌とは限らないが、近い歌詞の歌がこの時代流行ったと思われる。
  • 四国をまわって猿になった佐次兵衛:草双紙や古典落語に四国をめぐって猿になったという話題がちらほら出てくる。佐治兵衛あるいは佐治平とも書く。
    • 「一つとや、一つ長屋の佐次兵衛殿、四国を廻って猿になる」という俗謡がある。
    • 『風来六々部集』に「一つ長屋の佐治兵衛殿、四国を廻って猴となるんの、伴れて還ろと思うたが、お猴の身なれば置いて来たんの」という俗謡がある(南方熊楠『十二支考』より孫引き)
      • この俗謡は安永ごろに流行したもの。(講談社学術文庫『江戸語の辞典』>四国を廻って猿となる)
      • (佐治兵衛の話は)猟師また屠者が猴を多く殺した報いに猴となったということらしく…云々(南方熊楠、大正四年五月『郷土研究』三巻三号)
    • 山東京伝『霞之隅春朝日奈』(発行年不明)に「それ、猟師の佐次兵衛は四国をめぐって猿となり」とある。
    • 市場通笑『蟹牛房挟多』(天明一年)に「佐次平といふもの四国をめぐりて猿となる。もし猿にてめぐりたらば人にもならん」
    • 山東京伝『花芳野犬斑』(本書、寛政二年)「先年一つ長屋の佐次兵衛四苦にをめぐって猿となりし」
    • 十返舎一九『竜宮苦界玉手箱』(寛政九年)「一つ長屋の佐次兵衛は先年四国をめぐって猿となりしが」
    • 為永春水『春色梅美婦弥』(天保二年)に「序に四国をもまわって猿となれば宜かったのに」
    • 古典落語『猿後家』は、猿のような顔の後家さんが、自分の前では猿の話をするなと奉公人にきつく言い渡すが、みなたわいない話の中で猿を思わせることを言ってしまい失敗する話。その中に「四国巡礼の旅に行きたい」と言っただけで出入り禁止にされる奉公人が出てくる。ソース>猿後家 さるごけ | 落語あらすじ事典 Web千字寄席
  • 八郎兵衛が牡丹餅をたべて犬になるのは、『旅人馬』という昔話のパロディか。街道の途中にある老婆の家に泊めてもらい、すすめられるまま餅を食べた連れが馬になってしまう。主人公は逃げ出して馬を人に戻す方法を探す。
  • 犬の子さいさい、のこのこさいさい、おきやがれ…:おそらくは子守歌の歌詞で、犬の子さいさい は ねんねんさいさい、最後の「おきやがれ」は「おきゃがれ小法師」と続きそう。
  • かさね(累):累ヶ淵という怪談に出てくる娘の名前。非常に醜いため夫に憎まれて殺される。夫と後妻との間にできた娘に祟るが、祐天上人に供養され成仏する。歌舞伎芝居などの題材になっている。
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信太妻の気取りで歌を書き残して去る八郎兵衛

大磯地蔵咄(おおいそじぞうばなし)

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# 上記リンク先ではくずし字の原典と、それを現代の文字に置き換えた翻刻文の両方を読めます。状態はそう悪くもなく、ストーリーもおおむねわかるんですが、聞きなれない言い回しが多く、細かい点で読めた気がせずなんとなくモヤッとしています。
 
おおいそじぞうばなし
大磯地蔵咄(大磯地蔵話)
発行年:不明
作:不明
画:不明

 作・画とも不明、発行年も不明。これはあくまで個人的な考察で、あてずっぽうの類いですが、絵のタッチが富川房信に似てるような気がします。だとすれば年代は1760〜70年代にかけて。ただし、房信が古くさいタッチを愛して真似てる可能性もあるので断言はできません。

登場人物

  • 閻魔大王:地獄の支配者。閻魔王とも呼ばれている。
  • 六道の地蔵:魂が生まれ変わる六つの世界を見守る。
  • 大磯の地蔵:大磯切通にある石の地蔵。化け地蔵とも呼ばれ、化物から尊敬されている。
  • 狐、狸、狢(むじな):化けて人をだます動物。大磯の地蔵にたのまれて旅人をだます。
  • 九しょうじん:どんな字をあてるかは不明。地獄の役人と思われる。
  • 十王:ほとんど名前しか出てこない。
  • みるめかぐはな:二つの頭だけが燭台のようなものにのっているが、朝比奈や金時に台も壊されてしまったので今は木の枝にひっかかっている。
  • 三途川原の婆:せうずがはらのばゞあ(しょうずがわらのばばあ)。脱衣婆のこと。
  • 地獄の鬼たち

物語

 小林朝比奈、弁慶、金時が地獄で暴れて地獄の道具を踏み壊していった後の物語。

 地獄とはいえ道具をこしらえ直すには現金がいるので、閻魔、六道の地蔵、九せうじん(不詳)、鬼が寄り集まって相談する。まずは被害を見聞に行くと、無間の釜は割れ、業の秤もこわれてしまい、浄玻璃の鏡は割れ、みるめかぐはながのる台も折れている。

 これらの道具を再興するため、六道の地蔵は大磯の石地蔵に金を貸してくれという。大磯の地蔵は仕方なく狸、狐、狢を集めて旅人から金品を奪う相談をする。獣たちはそれぞれ化けて旅人をおどし金を奪い地獄から集金に来た鬼に渡す。狐が見越し入道にばけて飛脚を襲うが逆につかまりそうになる。あわてて逃げ出し石地蔵の後ろへ隠れるが、飛脚は刀で地蔵を切りつける。石地蔵は袈裟斬りに割れてしまう。

 獣たちが地蔵を地獄に運ぶ。九しょうじんや三途川原の婆がお見舞いにくる。閻魔たちが呼んでくれた医者が石漆というものでくっつけて治す。集めたお金で地獄の諸道具を作り直し、嬉しさのあまり踊りの音頭をとる閻魔大王。踊り始める鬼たちや九しょうじん。

 その後、大磯の石地蔵はお堂にまつられ、道行く人の参詣を集めたという。


 ばけもの退治のヒーローが地獄に乗り込む話には『地獄沙汰金次第』というのがありますが、それには朝比奈しか出てきません。
asobe.hateblo.jp

メモ

  • 獣たちが化けたもの
    • 虎が石:全国にあるそうだが、大磯のものを言っているだろうか。持ち上げようとしている旅人が、「大磯の虎が石になったという事だ」と言っている。ネット上で流布している大磯の伝説は虎御前誕生にかかわる石で、虎自信が石になったとは言われていない。
    • ひとつ目小僧
    • 狸が金玉をひろげて旅人にかぶせる
    • 狢女中:詳細は不明だが、女中(女性)にばけて往来の人を呼び止めて化かすものだろう。狢が言う「おじゃれおじゃれとまらんせ」が決まり文句だったかもしれない。
      • 累(かさね):狢女中は化け方が下手で美女に見えなかった。旅人は累が出たといって驚いている。累が淵の累は醜い容姿ゆえ夫に殺されて祟りをなした女性の名前。祐天上人に供養された。
    • 見越し入道:長い首を伸ばして上から見下ろしておどす妖怪だが、正体は古狸や狐であるとする話が時々ある。この本では山こしの坊さんとも書かれており、山を越えて首を出している。
    • 同じ場所を何度も歩かせる:飛脚は平塚から大磯までのたった二十七丁のみちのりで日が暮れたと言っている。
  • 地獄の道具
    • むけんのかま(無間の釜):罪のある死者を釜ゆでにする。
    • ごうのはかり(業の秤):死者の罪の重さをはかる天秤。
    • でうはりのかゞみ(浄玻璃の鏡):じょうはりのかがみ。死者の生前の行いを映す。
    • みるめかぐはなの台:燭台のようなもの。
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右:化け地蔵、狸たちに旅人を化かすように言う/左:ひとつ目に化けた狸

地獄沙汰金次第(じごくのさたもかねしだい)

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じごくのさたもかねしだい
地獄沙汰金次第
発行年:1782年(天明二)
作:伊庭可笑
画:鳥居清長

登場人物

  • 小林朝比奈(こばやしのあさひな):地獄に乗り込んで閻魔をやりこめる。
  • 閻魔大王閻魔王):地獄の王。最近は通人ぶってうまいものを食べ、草双紙など読んでさぼっている模様。
  • 十王:閻魔の部下で死者を裁く役目。
  • 牛頭(ごず):頭だけ牛の鬼。
  • 馬頭(めず):頭だけ馬の鬼。
  • その他鬼たち
  • 三途川の婆(そうづがわのばばあ):脱衣婆のこと。昔は三途川を「そうずがわ」「しょうずがわ」などと読んだ。
  • 地蔵:魂が生まれ変わる六つの世界(六道)を見守る仏。
  • みるめかぐはな:ほとんど名前だけ。燭台のようなものに乗っている二つの頭で死者の善悪を判断する。

物語

 閻魔といえば恐ろしい顔をして死者の悪行を見抜く地獄の裁判官だが、それは昔のことで今ではすっかり通人ぶってうまい菓子をかじりながら地獄草紙など読んで楽しんでいる。月のうち十六日だけは縁日なので、その日だけは真面目に勤めているようだ。

 ある日、娑婆(現世、この世)から小林朝比奈が年始にやってくる。年始といっても挨拶するのはむしろ地獄のほうで、朝比奈は言いたい放題やりたい放題。閻魔は自分が出るとこじれるからと仮病をつかって十王と鬼たちに接待させる。朝比奈は閻魔が病気なら治るまで何年でも待つといって帰ろうとしない。それどころか馳走しろ、酒をよこせ、地獄の酒は不味いから娑婆にとりに行けと言う始末。

 そこで十王たちは相談して、娑婆の酒だといつわり、地獄の酒に毒を混ぜて朝比奈にすすめる。朝比奈は娑婆から持ってきたにしては出てくるのが早いと怪しみ、近くにいた赤鬼を捕まえて無理矢理酒を飲ませる。苦しみはじめる赤鬼。

 怒った朝比奈は牛頭・馬頭・その他の鬼たちを縛り上げ舌を抜いてしまう。十王は慌てて閻魔に報告。閻魔は地蔵菩薩に仲裁を頼み朝比奈と会うことにする。

 朝比奈はさらに暴れる。三途川の婆を呼び「お前はせっかく着せてある罪人の着物をはぎとっているな。その罪は重いぞ。業の秤にのせてみろ」と鬼たちに命じて罪の重さをはかる天秤にかけ、婆を剣の山に送ろうとする。朝比奈が恐くて言うことをきくしかない婆。

 閻魔は少し病気がよくなったからと地蔵を立会人にして朝比奈と対面する。朝比奈は「誰の許しで王をやってる」「絹の服などけしからん」「鬼共のフンドシは紺の木綿で十分。虎革は俺が土産にする」「みるめかぐはなの台が贅沢すぎる」などと難癖をつけ、言うことを聞くなら命はたすけると言う。

 閻魔はすべて言う通りにして、死者から奪い取った六文銭(三途川の渡し賃として死者に持たせるお金)を出してきて、ここに千両あまりございます。これを持ってお帰りくださいと頼む。

 朝比奈は、浄玻璃の鏡、閻魔の衣類と冠、虎革のフンドシ、鉄の棒(金棒)、業の秤など、地獄の道具をすっかり取り上げ、しまいには地蔵にも「今後地獄が驕るようならお前の錫杖と宝珠もとりあげるぞ」と言い放ち、千両箱をかついで娑婆に帰って行く。


 朝比奈のようなヒーローが地獄で壊した諸道具を直す話に『大磯地蔵咄』がありますが、そちらでは「朝比奈、弁慶、金時が」と言っているのに対し、この本には朝比奈しか出てきません。また文体がかなり違うので、直接の続編ではないような気がします。
asobe.hateblo.jp

メモ

  • 十六日:閻魔大王の縁日
  • 最中の月(もなかのつき):江戸時代に人気があった菓子。
    • 糯米(もちごめ)で作った二枚の皮の間に餡をはさんだもの。丸く白い形を十五夜の月に見立てて最中の月と呼ばれる。吉原の竹村伊勢大掾の店のものが有名だが、後に松屋忠次郎店でも売った。/『江戸語の辞典』より
    • 最中という言葉は仲秋(十五夜)が秋の最中だからという説のほかに、皮の間に餡を挟むことからという説がある。現在の最中(もなか)という言葉の語源だとされる。
    • この本では閻魔がどこからか取り寄せて地獄で食べているシーンがある。
  • 地獄の道具類
    • ぜうはりのかゞみ(浄玻璃の鏡):じょうはりのかがみ。死者の生前の行いを映す鏡。玻璃はガラスのこと。
    • ごふのはかり(業の秤):ごうのはかり。死者の罪の重さをはかる天秤。
    • 虎革のふんどし:鬼のふんどし。
    • てつのぼう(鉄の棒):鬼の金棒。
    • 閻魔の衣類と冠:閻魔の服は絹でできているが、べんべらと呼ばれる薄手の粗末なもの。それすら朝比奈は贅沢だと言ってとりあげた。冠には王と書かれているのが生意気だというので朝比奈に取り上げられてしまう。
    • 千両箱:死者が三途の川の渡し賃として持ってきた六文銭を貯めたもの。

 このほかに地獄の釜も重要アイテムだと思うが、この物語には出てこない。

巻末の広告(思いついたようにメモしてみる)

  • とらのとし新版目録/永寿堂・西村屋與八版
    • 写昔男・ 通風伊勢物語(むかしおとこをうつしてつうふういせものがたり)  上中下
    • 道楽世界・ 早出来(どうらくせかいにわかのたんぜう) 上中下
    • 敵討・梅と桜(かたきうちむめとさくら) 上中下
    • 楽和・ 富多数寄砂(たのしみはとんだすきさ) 上中下
    • 上手談義(ぜうずだんぎ) 袋入/通笑
    • 芸者五人娘(げいしやごにんむすめ) 上下
    • 豆男江戸見物(まめおとこえどけんぶつ) 袋入/通笑
    • 地獄砂汰金次第(ぢごくのさたもかねしだい) 上下/作者・可笑/画・清長
      • この本自体に奥付けはなく、いつの「とらのとし」かはこれだけではわかりにくいが、通笑や永寿堂の活動時期などから天明年間だとわかるのだろうか。
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地獄の道具を取り上げる朝比奈

清明物語(せいめいものがたり)/[しのだづまつりぎつね付あべの清明出生]

https://honkoku.org/app/#/transcription/B8C7119B36C1F7AC1E7EB462C592EE7B/1/
# 上記リンク先ではくずし字の原典と、それを現代の文字に置き換えた翻刻文の両方を読めます。

 この資料は最初のほうに大きな破れがあり、正確な外題がわからなくなっており、表紙には「清明物語」という題がつけられています。ただし、内容は「信太妻」という古い浄瑠璃と同じもののようです。そのため東京大学総合図書館では [しのだづまつりぎつね付あべの清明出生]というタイトルで整理されているようです。

 ほとんどが文字で、いくつか挿し絵のページがあります。草双紙ではないかもしれないですね。

せいめいものがたり
清明物語
発行年:1674年(延宝二)
作:不明
画:不明

登場人物

  • 石川悪右衛門つね平(つねひら):蘆屋道満の弟。熱病の妻を治すために狐をとろうとして保名と争いになる。
  • 蘆屋道満:悪右衛門の兄。陰陽師清明と術を競って負ける。保名を謀殺しようとして成敗される。
  • 安倍保名:悪右衛門が狩ろうとしている子狐を助ける。
  • 安倍泰明:保名の父。息子を捕らえた悪右衛門と戦って死ぬ。
  • 安倍清明:保名の息子。陰陽師。幼名は童子(どうじ)。元服してからはやすあきらと改名。
  • 信太の女房:保名の妻。清明の母。その正体は保名が助けた狐。
  • はくとう上人:大唐国の「じやうけいざん」に住み、中丸に学問や秘術を授けたとされる僧侶。実は文殊菩薩。十才になった清明の前に現れる。
  • 清六:悪右衛門の家来。
  • 山下伝次:道満の家来。
  • らいばん和尚:河州葛井寺の住僧で、悪右衛門に捕らえられた保名の命ごいをして助けるが、実は信太の狐が化けたもの。
  • 三谷のぜんじ:安倍泰明の家来。

以下は過去の人物として名前が出てくる

  • 芦屋宿禰清太:あしやのすくねきよふと。道満の先祖。
  • ほうどう仙人:法道仙人。もろこしの仙人で清太の師匠。/この人は天竺から日本に飛来したという伝説があり、6〜7世紀に兵庫県加西市一乗寺を中心に活躍し仏教と陰陽道を結びつけ、いくつもの寺を開いたと言われている。飛鉢の法という方術を使って托鉢を行い、その途中で米俵を落とした場所が米堕と呼ばれ、後に米田町(加古川市)になったという説もあるとか。
  • 安倍中丸(仲麻呂):清明の先祖で大唐国のはくとう上人から様々な秘術を習ったとされる。その秘術をまとめた『金烏玉兎集』が清明の家に伝わっているが、誰も理解できないため存在が忘れられていた。
  • 吉備大臣:吉備真備のこと。保名の妻となった信太の狐は吉備真備が安倍の家に恩を帰すためにあえて畜生の苦を背負って生まれてきたものとされている。/この本にはそれしか書いてないが、真備が唐に渡った際に、唐で死んだ中丸が鬼となって真備を救ったという別の話があるらしい。

物語

 (最初のページが破れているため、この資料は石川悪右衛門つね平の妻が熱病にかかって苦しんでいるところから始まる)
 悪右衛門は妻の病気が死霊や生き霊のせいではないかと考え、都にいる兄の道満に助けを求める。道満は占により「これは ぎやくきやうちう という病で、若き牝狐の生き肝を飲ませれば治る」と言う。そこで悪右衛門は勢子を大勢つれて信太の森へ狐狩りにゆく。

 (このあたりも破れていて状況がわかりにくいが)保名は信太の森の神社のようなところへ参拝に来ている。そこへ悪右衛門の勢子が追いつめた子狐が飛び込んできたので、かくまって逃がしてやる。そのことで悪右衛門と諍いになり、捕らえられて首をはねられそうになるが、そこへ河州葛井寺の住僧でらいばん和尚が現れて、出家のならいで目の前で命をとられそうになっている者を救わないわけにはいかないと命ごいをして助ける。悪右衛門が立ち去ると和尚は「自分は人間ではなく、あなたに助けられた狐です」と正体を告げて姿を消す。

 疲れ切った保名が喉を潤そうと谷川へ降りると、十六才くらいの女房(女性くらいの意味)が崖から落ちそうになっているのをみつけて助ける。娘は保名を家に誘い休ませる。一方、保名の父、安倍泰明のもとに保名が悪右衛門に捕らえられたとの知らせがある。すぐに息子を取り返しに行くが、悪右衛門は「保名なら葛井寺の和尚に言われて帰した」と言う。そんなはずがあるかと違いに一歩も引かずに争いになり、泰明は悪右衛門に打たれ死亡。そこへ安倍家の家臣・三谷のぜんじが到着。悪右衛門はその場を逃げ出す。

 悪右衛門が暗い山道をさまよっていると庵がある。これは保名が助けた女房の家だが、そうとは知らず戸を叩く悪右衛門、出てきた女に「山賊に襲われて追われているのでかくまってくれ」と言う。そこへ三谷も追いかけてきて、主の仇と襲いかかる。悪右衛門は三谷に組み伏せられ「この庵の主人がいるなら助けてくれれば所領を望みのままに取らせるぞ」と呼びかけるが、庵の中から保名が出てきて悪右衛門の首を取る。

 保名はその後も女房(実はきつね)と山奥で暮らし、男の子がひとりいる。この子は安倍のどうし(童子)と名付けられる。後の安倍晴明である。ある日、女房は息子の昼寝中に気をゆるめ、水鏡に自分の正体を映してしまう。それをたまたま起きてきた息子が見て、母上が恐ろしい姿になったと大騒ぎする。その場はなんとかなだめるが、いずれこの話を父の保名にもするに違いない。そう思った女房は、自分は命を助けられた信太の森の野干(きつね)であると書き置きして出て行くことにする。女房が残した「恋しくば尋ね来てみよいずみなる信太の森のうらみくずのは」の歌をたよりに保名は息子を抱いて信太の森に分け入る。

 母だったものはすっかり野干にもどって、狩人がかけた狐罠に逆に狩人をはめるなどと賢いけだものとして暮らしていた。そこへ保名が子供を連れてやってきて、姿を見せてくれと懇願する。もしこの世で会えないのなら此子を殺して自分も死ぬと言えば、やっと野干が現れて人間の姿に変わる。しかし野干は一度正体を知られたからにはもとの暮らしには戻れないのだと言う。息子は成人すれば必ず天下にただ一人の者になるからと、四寸四方の黄金の箱と水晶のような玉を授ける。箱は龍宮世界の秘符で、これを使えば天地日月人間世界のすべてを知ることができる。玉は耳にあてて聞けば鳥獣の声を理解できるようになる。これを持って早く立ち去りなさいと言うので、保名はその場を去り息子を立派に育てようと決意する。

 月日は流れ保名の息子は十才になり、名を「安倍童子はるあきら」と改めた。非常に賢い子供で八才の頃には書を読んだほどである。ある日虚空に獅子に乗った白髪の老僧が現れ、母の前世の事や、先祖・仲丸が大唐で学んだ事などを語り、一度だけ死んだ者でも必ず蘇生できる力を授ける。上人は文殊菩薩の姿に変わって飛び去った。その話を聞いた保名は先祖から家に伝わる書物『金烏玉兎集』を息子に与えたので、いよいよ神通を極めるようになる。

 ある時二匹のカラスがさえずるのを見てはるあきらは母からもらった玉を取り出して耳に当てると、都で大殿(おとど)が造営された際に蛇と蛙が生き埋めにされたせいで帝が苦しんでいるのだとさえずっていた。はるあきらは今すぐ都に上りこれを占って世に出る時だと父に話す。

 保名と息子は参内しこのことを帝に申し上げる。帝の仰せでその場所を掘ってみると、たしかに蛇と蛙が埋まっていた。それを取り除いたところ、帝の御病気はたちまち平癒する。帝はよろこび、これからは清明と名のり宮仕えするようにと言う。

 その話を聞いた占博士の道満、清明に自分の地位が脅かされるのをおそれ、そんなものはインチキだと主張し、術比べを行い、どちらが負けても勝った方の弟子になると決める。勝負は蓋を開けずに箱の中身を占うというもので、最初の勝負は引き分けに終わる。二回戦では道満が「大柑子(おおこうじ、蜜柑のこと)が十五個」と占うが、清明は術で中身を変えて「鼠が十五匹」と占って勝利する。

 大恥をかいた道満は安倍親子を無き者にしようと考える。清明が夜勤の間に偽の勅使で保名を誘い出し、一条の橋で橋板をはずして川に落とし、寄ってたかって襲いかかったので保名は死に、その死骸をトンビやカラス、野良犬が食いちぎって持ち去る。

 そこへ夜勤明けの清明が通りがかり、かろうじて生き残った者からことの次第を聞く。橋の下には父親の無慚な姿がある。はくとう上人からさずかった一度だけ死んだ者でも必ず蘇生できる術を試すのは今だと思い、橋の上に祭壇をもうけて術を行うとトンビ、カラス、犬たちが持ち去った保名の肉片を持って戻ってくる。保名は元の姿になり息を吹き返した。

 内裏では清明が参内しないので騒ぎになっているが、道満が「父が急逝したので内裏に汚れを持ち込まぬよう休んでいるのでしょう」という意味のことを言う。そこへ清明が参内する。皆驚き、父上が亡くなったのなら帰りなさいと言われるが「はて、誰がそんなことを」と清明。それを申し上げたのは自分であると道満。しかし、保名が死んだことを知っているのは清明以外には保名を襲って殺した者だけである。

 道満は自信満々で「死んだ者が生きているというなら、一つしかないこの首其方にとらせよう」と言う。そこへ保名も到着し、ことの次第を申し上げる。帝は清明の力に感じ入り、道満の件は思うままにせよと仰せになる。清明は道満は見事道満の首を落とす。

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清明が父の保名を蘇生するシーン

鬼の趣向草(おにのしこぐさ)

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# 上記リンク先ではくずし字の原典と、それを現代の文字に置き換えた翻刻文の両方を読めます。

りょうごくのひょうばんむすめおにのしこぐさ
両国のひょうばんむすめ 鬼の趣向草

発行年:1778年(安永七)
作:不明
画:不明


 この話に出てくる鬼娘は、実際に両国広小路の見世物小屋に出ていた少女がモデルになっています。ストーリーは完全に創作で、見世物小屋の話題作りのために作られたもののようです。この鬼娘は「正真(しょうじん)の鬼娘」と呼ばれていて、当時大評判でした。江戸時代の出来事を記した『武江年表』にもその記録があります。

 「正真の」と言われているのは、この鬼娘が大評判になったあとで、川の向こう岸(両岸に広小路があった)の見世物小屋に偽物の鬼娘が出たからのようです。偽物のほうは普通の少女が作り物の角や牙などを身につけていたようですが、こちらも大人気だったと言います。鬼娘の件は、草双紙の『化物昼寝鼾』にも「正真の鬼娘が出ればすぐにまがえ(紛い)が出る」と話題にされています。

登場人物

物語

 川中島善光寺の山奥、戸隠山に鬼が住んでおり、子供や時には大人もさらわれると、都でも知られるようになる。帝が余五大将・平維茂に命じて退治させることになる。維茂が善光寺如来に祈願したあと山へ入り…(この先破れが多くてよくわからないが)、二八ばかり(十六才)に見える鬼の娘が現れたので打ち取る。

 鬼娘は維茂を酒の肴にしてやろうと襲ったのに逆に打ちとられて地獄に落ちてしまう。地獄で鬼の仲間にしてもらおうとしたら、善光寺如来が人々を救いすぎてみんな極楽へ行ってしまうので、地獄は大変な不景気で、地獄の釜に蜘蛛の巣が張っているほどだった。鬼も仕事がなく、することもないのでめくりカルタをしてはした金を稼いでいる。

 妙な罪人が来たと思って見れば人ではなく戸隠山の鬼仲間の娘だった。そこで閻魔は地獄の有様を語り、娑婆の勝手を知っている鬼娘に善光寺如来に茶々を入れに行くよう頼む。こうして鬼たちが力任せに娘を娑婆へ扇ぎ帰す。

 鬼娘は娑婆へ帰されると善光寺に向かうが、如来は江戸表で開帳で留守だった。急ぎ江戸へ向かい、夜に牛若丸の姿で両国橋の欄干を歩いていると、橋番が不審者と見て金棒で殴ろうとするが、鬼娘は奪い取って川に捨てる。これが鬼に金棒の言われである。以来、橋番は金棒をやめて六尺棒を持つようになった。鬼娘は開帳札の立つ場所で人間どもを見ながら、これから俺に食われるのにバカなやつらめと笑う。

 どうやって如来の邪魔をしてやろうと考えていると、参詣の人々が高提灯を手に大勢やってくる。しかし鬼娘には人々の声しか聞こえない。それもそのはず、人々は如来の光明の中を歩いているので鬼娘がどんなに目を剥いても見えないのである。人々も鬼娘の恐ろしい姿を見ることはなかった。

 如来の邪魔(人を地獄に落とすこと)がうまくいかず、腹を減らした鬼娘はたまたま目についた瓜・西瓜を売る店に飛び込んでまくわ瓜を食べ始める。売り手が慌てて人に知らせに行くが、これをまくわ瓜の鬼をすると言い習わす(この部分意味がよくわからない)。この騒ぎで人が逃げてしまったので、鬼娘は好き勝手に暴れて、煮しめを売る店で昆布(こぶ)を残らず食べてしまう。鬼にこぶを取られると言うのも(こぶとり爺の話)この事であろう。

 鬼娘は善光寺如来をたずね歩くうち「とんだ霊宝(戯開帳、とんだ開帳)」の見世物を見つけ、今度こそ如来の邪魔をしてやろうと三尊像をぶち壊すが、もとより干物で作った偽物なので簡単に砕け散る。

 鬼娘が出ると江戸中で評判になり、鬼除けのために五月の晦日を大歳として松を立てて豆をまいた。

 戯開帳の干物の三尊像をぶち壊した鬼娘は、それでも人々が集まってくるのを不思議に思い、姿を消して群集についていく。そこには本物の善光寺阿弥陀如来三尊像があったので、さっきのは騙されたのかと怒る鬼娘。しかし如来の光明により大塔婆が倒れ鬼娘はその下敷きに。娘は心を入れ替え合掌する。如来は見世物師をお呼びになって、見せしめのために両国広小路で鬼娘の見世物をするように言う。鬼が初めて阿弥陀を見て拝んだので鬼の目に阿弥陀(あみだ)であるが、世間では間違って鬼の目に涙(なみだ)と言っている。

 こうして鬼娘は両国広小路の見世物小屋に出るようになる。鬼娘の姿は生まれつき口が耳まで裂けていたが、親の慈悲で縫い縮めた跡がある。歯は乱杭歯。袋角といって角の形もある(鹿の角が一度落ちて新しく生えてきた時のような皮膚を被った角のこと)。

 また、「この娘の出所因縁は二冊の双紙でお耳に入れます通り」と口上を述べているので、この本が見世物の宣伝用に作られたものだとわかる。

疑問点

コマ06
 左ページの台詞で「すりこ木で閻魔と出かけ様子をうかがうべし云々」「旅宿?は蔵前?としよう」というのがなんらかの芝居と関係があるのではないか(直前で鬼が助六と意休の話をしているのもヒントか)。

コマ07
 挿し絵で鬼娘の後ろへ男が近付き尻をつねっている。文章はかすれた部分がありはっきりとはしないが、つねられて振り返ったのが美しい稚児だったので男が気を失うというような事が書いてある。

  • 稚児の美しさに感嘆して気を失ったのか?
  • 女の子だと思ったのに少年だったので、その気がないためショックで気を失ったのか?
  • 「うつくしきちご」と読める部分が実は別の言葉(読み間違い)なのか?
    • なお鬼娘は女の子ですが、牛若丸のなりをしているので稚児(少年)みたいに見えた可能性はあります。

 尻(おいど)をつねった男が「これをおにとのしやれといふべきか」と言っているが、おにととは何か。

コマ10
 「鬼をする」は毒味をするという意味だが、鬼娘がまくわ瓜を食べているのが毒味だと何が面白いのかよくわからない。同じコマにある昆布をとられる←瘤をとられる(こぶとり爺)、みたいな元ネタがありそうだか?

コマ12
 江戸中で豆まきをして「門の暖簾に豆屋と書いて」と歌?をひき、まったく天に口なし人をもっていわしむるというのはこの事だとあり、これも冗談になってるはずだが意味がわからない。

コマ13
 「たんばぐりのかんばんに鬼のねんぶつ申句?(があるが)これを(鬼娘が大塔婆の下敷きになり如来を拝む様子)を見てこしらへしものか」とあるが、そういう看板があったのか、あるいはそのような俳句があったのか。

 見世物師が「お前様への冥加銭はしてやんしてどういたしましょう」と言っているのは何の台詞か?

メモ

  • 余五大将:平維茂(たいらのこれもち)のこと。平貞盛の養子で十五番目の子供だったので十に余り五の君、余五君と呼ばれていた。

さうづがは(そうずがわ):三途川を江戸時代にはそうずがわと読んだ。三途川の婆は脱衣婆のこと。

  • 〜と出かける:これから何かをしようという時に言う。今の言葉なら「こう暑い日には縁側でビールと行こう」というようなニュアンスで「ビールと出かける」などと言う。
  • 三国伝来:インドから中国を通って日本に伝来する事。三国は当時の感覚では世界のような意味。三国一の花嫁などの「三国」。
  • さんろう(参籠):祈願のため寺などにこもること。
  • あり合う:あたまたま居合わせること。たまたまそこにあること。有り合わせ。
  • しゃなぐる:むしりとる。かなぐる。
  • おいど:尻のこと。
  • おにと:不詳。おいどにかかる洒落になっているはず
  • ちよこなめずき?:不詳。挿し絵で鬼娘の尻をつねっている男の事を言っているようなので、悪戯好きくらいの意味だろうか。あるいは尻フェチとか、女好きとか、そういうような意味の隠語かもしれない。
  • たかちょうちん(高提灯):幟(のぼり)を立てるための棒のようなものに提灯をつけたもの。
  • せったい(摂待):施し。ふるまい。施しのために往来の人に無料で茶をふるまう摂待場というのがあったという。
  • 鬼をする:毒味をするという意味。
  • 正じん(正真):本物。正真正銘の正真だが、昔は「しょうじん」と読んだ。
  • ひろごる:広がる
  • とんだ霊宝:御開帳の参詣に来た人たちをあてこんだ見世物で、干物や日常品などを使って三尊像のような霊宝を作り、面白おかしい口上で笑わせる御開帳のパロディー。戯開帳(おどけかいちょう)。この資料には「とんだ開帳」と読める幟も描かれている。
  • 東方朔:武帝の時代の政治家だが、三千年に一度しか実を付けない西王母の桃の木から桃を三回も盗んだという仙人みたいな伝説がある。

三尺の剣を抜いて…:獅子舞をする時の神歌にそういう歌詞があるそうで、現在でも山梨県道志村では「三島に鹿島に諏訪、戸隠、玉津島。住吉様は笛の役、しらひげ鼓、締めて打つ、うすめの命はまいこの役、鈴振り上げては神歌を歌ううたあり。みな三尺の剣を抜いては悪魔を払う。そこらです。」という歌で獅子が舞うお神楽をしているとか。

  • 両国広小路:隅田川にかかる木造両国橋が大火事が出ても類焼しないように橋の両端に建物のない広場が設けられていた。これを両国広小路と言って、普段は見世物小屋などが立った。
  • 大とうば:大塔婆。御開帳の際に、本堂前に立てる大きな柱で卒塔婆の形をしている。この柱と御本尊様が五色の紐で結ばれており、柱や紐に触れることで御本尊様に触れたことになるという趣向もあった。信州信濃善光寺ではこの柱のことを回向柱(えこうばしら)と呼んでいる。
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鬼娘の見世物の様子
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高提灯を持って御開帳に集まる群集。後述の『武江年表』にもこの様子が記されている。
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とんだ霊宝を本物の如来と思い込んで破壊する鬼娘。とんだ霊宝についても『武江年表』にある。

以下は『武江年表』より抜き書き。読みやすいように改行を加えました。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949631/78

同日【安永七年六月朔日】より閏七月十七日まで、回向院にて、信州善光寺弥陀如来開帳、この時開帳繁昌して諸人群をなす。

暁七時頃より棹の先に提灯多くともしつれて、高声にて念仏を唱へて参詣するもの多し。

平賀鳩渓、烏亭焉馬が求によりて工夫をなし、小き黒牛の背に六字の名号をあらはし、見世物に出して利を得たりといふ。

又、鯰江現三郎、古沢甚平といふもの細工にて、飛んだ霊宝と号し、あらぬ物を見立て、仏菩薩などの類に作りたる見せもの、鬼娘といへる見せものなど、いづれも見物多く賑ひしとぞ。

筠庭云、此時鬼娘は、橋向にも似せもの出来て、是もはやる。

飛んだ霊宝略縁起は焉馬述、このみせものはやりて、両国に三ヶ所、山下に二ヶ所出来たり。

平賀源内が作、宝生源氏金王桜といふ浄るりに、両国鬼娘のみせ物を作りたり。

この開帳の朝参りは、頓に禁ぜられたり。

  • 烏亭焉馬:江戸時代の落語家。立川談洲楼と同一。
  • 平賀鳩渓:平賀源内の画号。
  • 鯰江源三郎:鯰橋源三郎とも。とんだ霊宝の細工人のひとり。
  • 古沢甚平:とんだ霊宝の細工人のひとり。
  • 喜多村筠庭:江戸時代後期の考証家。通称は彦助、のちに彦兵衛とも。名は信節(のぶよ)とも言う。字は長岐。筠庭,静舎など。

鎌田又八(かまだまたはち)

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かまだまたはち
鎌田又八

発行年:不明(江戸中期)
作:不明(富川本人か?)
画:富川房信

登場人物

鎌田又八、怪力の持ち主
又八の乳母
三つ目大入道、又八を襲う
見越し入道(挿し絵のみ)
又八のおば(実は妖怪が化けたもの)
一つ目小僧
きぬや嘉右衛門
その娘おしが
嘉右衛門の老婆(実は猫が化けたもの)

物語

 鎌田又八という怪力で近国に知られた者がいた。彼は鶏をかわいがっていたが、遊びに出かけている間に隣家の犬に食い殺されてしまう。又八の乳母や近所の子供が犬を追うが捕まらない。そこへ帰ってきた又八は犬をみつけ、あっさり捕まえると下あごに手をかけてやすやすと引き裂いてしまった。

 ある日、又八は一里ばかり離れた山里のおばに会いに行く。途中で三つ目大坊主に襲われるがあっさり撃退する。正体は古狸だった。おばの家にたどりつき、気が緩んで眠くなる又八。夜中に物音に目覚めると、巨大な山伏が舌なめずりしている。いろりのほうでは一つ目小僧が人間の手を焼いて食べているし、おばだと思っていたのは口が耳までさけた鬼婆だった。妖怪たちは又八が眠っているものと思って襲いかかる。又八は待ってましたとばかりに刀を抜いてこれを退治する。

 さて、きぬや嘉右衛門という有徳な商人がいて、猫を飼っていたが、その猫が化けて嘉右衛門の老母を食い殺し、老母になりすましていた。きぬやの前を通りかかった又八は口を血で汚した老母が高塀を乗り越えていくのを目撃する。急ぎきぬやを訪ね「もしや猫をお飼いではありませんか」と言えば「しばらく前から姿が見えないのです」と。

 猫が姿を消した頃から隠居中の母親が目をわずらい、明るいところを嫌って引きこもっているという。そこで隠居所の庭を掘ってみると、老母とその世話をしていた女中の死骸が出てきた。さらに隠居所の様子をうかがえば、猫は正体を現しニャアニャア言いながら食事を頬張っている。やはり猫の仕業だったかと納得するきぬや。化け猫を見て恐れるきぬやの娘、おしが。

 突然空がくもり大雨大風が吹き荒れる。又八はきぬやに頼まれて化け猫を退治する。肝の太い若い者が自分も化け猫を討ち取るのだとやってきたがこの様子を見て気を失う。

 こうして化け猫は退治され、きぬやは又八に娘のおしがと妹背の仲をたのむ。おしがも又八に恋い焦がれていたので夫婦になれたことを喜ぶ。くたびれ休めに酒を飲もうと又八が大盃を手にすると、そこに化け猫の姿がありありと映る。見上げれば化け猫の生首が。又八はこれを睨み落とし、それからは不思議なことは起こらなくなった。

 こうして又八の評判はいよいよたかまり、おしがとふたりで幸せに暮らした。力試しに春駒を担ぎ上げる又八。それを見て幸せをかみしめるおしが。めでたしめでたし。

メモ

  • みじんこっぱい、微塵骨灰。こっぱみじんと同じ。
  • はめ印、語尾に印を付ける言葉遊び。はめは「羽目に陥る」などという時の羽目で、ピンチになったくらいの意味か。例:きついやつにでやつてははけものもはめ印
  • 三つ目大入道や見越し入道も登場するがちょい役で、化物の相座頭のような設定はない。
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鶏をころした犬を引き裂く又八(右)、又八を襲う三つ目大入道(左)